動的なブログ

日常の感じたことをそのまま書いていきます。

会社に来たマナー講師が害悪過ぎた「あだ名」の話

以前勤めていた会社では、年に1回セクハラ・パワハラ研修がある。

2時間くらいの研修でわざわざ外部からマナー講師を招いて行われる。

そのマナー講師の話があまりにもひどかった。

マナー講師は女性の方で、以前は航空会社のCAとして働いていたという。年齢は40過ぎくらいだろうか。

研修が始まる。

まず会社に対して賛辞を贈る。

「こんなきっちり研修を行う会社はなかなかない。素晴らしい」

彼女も仕事をつないでいくために必死なのだろう。ちなみに新人のマナー研修も同じ人だ。会社としても同じ人に頼む方が楽だし安心である。この程度の営業ごますりはよくある光景だから問題ではない。

ひどかったのが「あだ名」の話だ。

会社に田中という同じ苗字の人が2人いるとする。一方は普通に「田中さん」と呼び、もう一方は「田中ちゃん」と呼んだとする。

これが問題だというのだ。

何がダメなのか-。2点あるという。

①「田中さん」と呼ばれている側は「田中ちゃん」と呼ばれている人より親しみがないと感じ、差別を受けたと思う。

②「ちゃん」付けは幼児性の表れであり、社会人としてふさわしくない。

だから会社であだ名で呼ぶのはタブーだとまでいうのだ。

思わず吹き出してしまった。さすがに冗談だろうと思って講師の顔を見てみると真剣至極の顔をしているのだ。吹き出したとき目が合ってしまい、睨まれてしまった。

そもそもちゃん付けがあだ名だという認識を持つ人に出会ったのは初めてだった。仮に差別的な扱いを受けていると感じる人がいたとしたらその人に問題があるだろう。

この場合、あくまで同性がいるとややこしいから区別するためにやむを得ず呼び方を変えているだけだ。差別とか幼児性とか考えすぎである。

もともと私はマナー講師という存在に懐疑的だったのだが、この件で完全に信用をしなくなった。

そういえばあだ名をつけることがいじめにつながるとかであだ名を禁止する小学校もあるらしい。世の中が「平等」を意識しすぎて窮屈になってきている。

あだ名については自分も高校時代にとあるお菓子の名前を付けられたことがある。

しかもつけられたのは入学して早々のことで、お互い顔と名前が一致していない段階である。当時は散々いじられた。でもそのあだ名のおかげで周囲から話しかけられる機会が増え、友達が多くできた。人見知りしてしまう自分にとってたいへんありがたい話だった。今となってはつけてくれた友人にかなり感謝している。正直あだ名で人生が変わったといってもいい。

あだ名は「愛称」ともいう。あだ名で呼ぶということはそこに愛があるということの裏返しである。もちろんあだ名で呼ばれないからと言って愛がないわけではない。あだ名はその人の個性があらわれたりするものでもある。あだ名で呼ぶことを名に振りかまわずやり玉に挙げる生きづらい世の中にはなってほしくない。あだ名に救われる人もいるのだ。